~ 守ってあげる ~






「ん・・んぅ」

日向さんはたまに夜中にうなされる。
小学生の時には知らなかった。東邦に来て、四六時中を一緒に過ごすようになって気が付いたことだ。

健やかな精神をもつこの人を、何がそんなに苦しめているのか。正確なところを俺は知らない。

だが苦しいことや辛いことの多かった子供時代であっても、気丈に家族を支えて弱音一つ吐かなかったこの人が、眠りの中にあっては涙を流す。塞ぎようのない傷が随分と長い間この人を苛んでいることは、疑いようがなかった。
そしてこんなにも近くにいるのに、それを根本から癒すことの出来ない自分がものすごく歯がゆい。

俺は自分のベッドを降りて、日向さんのベッドに近づいた。
カーテン越しの薄い月明りに日向さんの顔が浮かび上がる。長い睫毛を滴が濡らし、頬に一筋流れていく様を俺はじっと見つめた。
日向さんを起こさないように細心の注意を払って、その隣にそっと潜り込む。

「・・う、ン」
「・・・だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」

悪夢にうなされているのであれば、起こした方が早いのかもしれない。身体を揺らし、強制的に断ち切ってしまえばいいのかもしれない。
だが俺はそうしたくは無かった。無理に起こして中途半端に夢の中に心を残すのではなく、このまま穏やかな眠りに変えてゆっくりと休んで欲しい。だから俺はいつも日向さんの目を覚まさせるようなことはしなかった。

「だいじょうぶ。何も心配することないよ」

狭いベッドの中で、日向さんの身体をゆったりと抱き込む。回した手で柔らかくトントンと背中を叩いてあげると、日向さんが俺の胸にすがりつくように寄ってきた。

「問題ないよ。なにも怖いことなんてない。だいじょうぶ」

だいじょうぶだいじょうぶと、俺は馬鹿の一つ覚えみたいにそればかりを繰り返す。他に何と言っていいのか分からなかった。

それでもこの言葉を繰り返し唱えている内に、日向さんは大抵は落ち着く。ただそれとは逆に、余計に泣きだすこともあった。
今日は後者のようで、日向さんはますます俺の懐に潜り込むようにしてしがみつくと、肩を震わせた。

俺は宥めるように背をさすって、日向さんが苦しくない程度に抱き締める腕に力を籠める。
腕の中で小さくしゃくり上げるこの人は、今見ている夢の世界ではおそらく幼気な子供だ。誰かが守ってやらなければならなかった。
俺は辛抱強く、同じことを繰り返す。だいじょうぶ、だいじょうぶ、俺がいる、いつまででも傍にいると、幼い日向さんに約束をする。


やがて日向さんの呼吸が落ち着き、表情も和らいでくる。
もうちょっとだ。もう少しで悪夢から解放されて、穏やかな眠りにつくことができるだろう。
俺は柔らかな髪を撫でた。いいこいいこと、きっとこの人の父親が幾度もしただろうことをなぞって、日向さんの髪に手のひらを滑らせる。

すう、と日向さんの呼吸が深く変わったところで、俺もゆっくりと息を大きく吐いた。

もう俺も自分のベッドに戻っても大丈夫だと思われた。
だが戻りたくはない。

(あっちのベッドは冷たいし、俺冷え性だし、そうなると寝付くのに時間がかかって寝不足になるし)

言い訳をいくつか挙げてみるが、言い訳は言い訳でしかない。
俺は日向さんの髪に鼻先を埋めて息を吸った。寮で使っているシャンプーの他に、不思議と陽向の匂いがする。これが日向さん自身の香りなんだろう。

中1~2の頃は、嫌だと思いながらも一応は大人しく毎回自分のベッドに帰っていた。それが今では難しい。最近ではこうして朝まで日向さんのベッドで過ごすことも度々だった。

日向さんは最初の1回こそ、目を覚ました時に隣に俺がいることに驚いた顔を見せた。だが「どうしてお前が俺のベッドにいるんだ」と聞かれた俺が「寒くて眠れなくて」「怖い夢をみたら眠れなくて」などと適当な理由を挙げれば、次回からは文句は言うものの、それほど追求はしてこなくなった。
自分が夢を見ていたことは、覚えていないようだった。

俺は今日も早々に自分のベッドに戻ることは諦めた。理性や常識がどう主張しようとも、腕の中にいるこの人を手放して今更冷えたベッドで一人で寝るなど、耐えられない。

(それに・・・)

俺は少し身体をずらして日向さんの顔を見られるようにすると、その頬にそっと唇を落とした。キスというよりも、日向さんの頬の触感を楽しむようにゆっくりと唇を滑らせていく。

日向さんの肌はものすごく柔らかくて、気持ちがよかった。これが中3男子の頬なのかというと、ちょっと違うんじゃないかというくらいに。
顔立ちや体格は中学生というよりも既に高校生並みに育っている人なのに、肌は子供のようにプニプニで柔らかい。これはおそらく俺しか知らないことだ。
以前、やはり腕の中にいるこの人があまりにも可愛くて愛おしくて、つい頬や額に唇で触れてしまい、その時に知った。知ってしまえば、ハマらない訳がなかった。

ひとしきり滑らかな頬を唇でなぞり、俺は満足して日向さんを抱えなおした。呼吸は安定しているし、起きる気配もない。元来、朝が来るまでは何をしても起きないような、眠りの深い人なのだ。

俺も満たされて目を閉じる。
腕の中にあるのは、何よりも大事なもの。自分の時間と労力を差し出してでも守りたい人。俺に愛情というものがあるのなら、きっとその全てを既に持っていってしまっている人。

(・・・いつか、この人が俺のものになってもいいと言ってくれたなら)

俺は実際にはまみえたこともない、彼の人のことを想う。

(そうなったら、どうかこの人を俺に)

どうか俺に。

(それまでも、そうなってからも、あなたの代わりに守るので     俺自身としても、あなたの代わりとしても、全力で守っていくので)

だから、いつかはこの人を手に入れることを。
どうか。どうか。

    そう、俺は強く願う。


「おやすみ、日向さん」

応えるのは、安心しきったような穏やかな寝息だけだった。







***




「だーかーらー!何でお前が俺のベッドで寝てるんだよ!」
「だって昨日はすごく冷えたじゃん。夜中に目が覚めちゃって、そうなったら寒くて寝付けなくなっちゃってさ。でも隣を見れば日向さんはスヤスヤ寝てるし。だったら、お邪魔しちゃえー、って」

俺が嘘つきというよりは、日向さんが騙されやすいのだろう。

「・・・ったく、しょーがねえなあ。だけど何度も言ってるけど、狭いだろうが。大丈夫か。ちゃんと眠れたのかよ」
「俺はオッケーだよ。日向さんは?」

日向さんはちょっとの間考えるように、自身の胸に手を当てた。

「・・・よく眠れてるな。何だか頭もスッキリしてる」
「睡眠の質が良かったのかもね。・・・さあ、着替えて朝練にいこ」

お互いにクローゼットから練習着を取り出し、手早く着替える。日向さんは髪を手櫛で整え、俺は邪魔にならないように後ろで結んで部屋を出た。

「おはよー。日向さん、若島津」
「おす」
「うす」
「何よ、それ」

他の部屋からも同じように朝練に向かう奴らがわらわらと出てくる。サッカー部だけでなく、他の運動部の奴らも。
いつもと変わらない日常が始まろうとしている。

「そういや日向さん、再来週から期末テストだからね。そろそろ手つけ始めないとね」
「あ、もうそんな時期か。やべーな。俺、英語ダメかも。あんまり酷いと香さんから部活禁止令が出るもんなあ」

食堂に向かう廊下で反町に話し掛けられて、日向さんはため息をついた。
この人は理数系は得意だが、社会や英語が不得手だ。暗記ものが面倒らしい。

「だいじょうぶだよ。俺がヤマを張って教えてあげる。日向さんの苦手なものから順に片づけていこう」

隣を歩く俺は日向さんの背中をポンポンと軽く叩きながら、いかにもそれが容易いことであるかのように請け合った。だいじょうぶ、だいじょうぶ、と。


日向さんがふと振り向いて、不思議そうな顔をして俺を見上げた。アーモンド形の目を見開いて、俺の目をじっと覗き込んでくる。

「・・・おれ、つい最近も、お前にそれ言われたっけ・・?」


俺はニっと唇の端を引き上げた。
日向さんの向こう側で「なになに?何のこと?」といつものように興味津々といった体で首をつっこんでくる反町のことは、やはりいつものようにスルーする。

「そんな覚えはないけれど、だいじょうぶだよ。・・・だいじょうぶ。日向さんのことは、俺がちゃんと見ててあげるからね」





END

2017.01.20

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